神様の支え[クリスチャン D さんより]
ペンテコステ(聖霊降臨節)とは、「復活された主が天に昇られた後、残された弟子たちに聖霊が降った日を祝う日」と説明されますが、それはどういう事なのでしょうか?
まず聖霊とは何でしょうか?私は「自分の事など誰も分かってくれない」というさびしさを感じている時に、実はそうではなくてそばで自分をじっと見ていてくださる方(イエス・キリスト)がいるのだと知って大変に救われた思いをしました。
それがイエス・キリストとの出会いであったわけですが、その「誰かが常にそばにいて下さる」という感覚は今でも変わりません。例えば夜一人でいる時、聖書を開きみ言葉に触れて「自分に語りかける声は聞こえないかな」とじっと耳を傾けていると、やはり誰かが一緒にいて下さって何かを私に伝えようとしているのを感じます。自分の周りを何かが大きく包み込んでいて下さるのを感じます。それが聖霊なのだと私は感じています。
では、なぜ聖霊が降ったことを祝うのでしょうか?実は2000年前のペンテコステは、今までイエスを置き去りにして逃げ出していた弟子たちが、迫害をおそれず大胆にイエス・キリストについて語り始めた日です。
弟子たちが変えられた日なのです。イエス・キリストは「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」(使途言行録1章8節)という言葉を残して地上を去られましたが、その意味がこの出来事に現れています。
それは、我々は決して強い存在ではないけれども、神様が聖霊を通して支えて下さることで力強く歩んでいくことができるという事です。神様が常に我々を支えていてくださるのです。
これは今の我々にも起きています。私も日常的に感じています。先ほどの話で言えば、祈りのなかで自分を包み込む存在を感じる時、なぜか大きな安心感が与えられます。
祈る前にはどんなに気持ちに余裕がなくとも、祈ってみると不思議と心は落ち着き、この大きな存在が私を守り良い方向へと連れて行って下さるという気がしてきます。
恐らくこれが、私にとっての「自分は弱く小さい存在だけれども、主が共にいて支えてくださる」ということの意味であり、日常的な体験なのだと思います。
ペンテコステは、神様が私たちを支えてくださっているという事を改めて覚え、感謝する日です。ペンテコステに限らず、神様は今もあなたのそばにいて、あなたを支えてくださっているのです。
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