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クリスマスについて

「わたしたちと共に居続けてくださるキリスト」

弓町本郷教会のクリスマス

キリストはヨセフとマリアが住民登録するためにベツレヘムに滞在している時に生まれました。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったので、布にくるんで飼い葉桶の中に寝かせた、というのが出産の時の様子でした。

当時の宿屋、それもエルサレムのような首都ではなく、小さな村の宿屋というのはいったいどういうものだったのか、わからないことが多いのですが、現代の日本で例えていえば、登山者が泊まる山小屋、それも大部屋で雑魚寝するような宿、それがイメージとしては近いのかもしれませんが、そこも一杯だったというのです。泊まることはできても、出産することは難しい、それで馬小屋に行くということになったのかもしれません。別に宿屋の主人がいじわるだったというわけでも、他の人たちがいじわるというのでもない、出産するような場所がなく、馬小屋へということになったのかもしれません。

キリストはわたしたちのためにこの世界に、この地上に、やってきてくださった。しかし、人々はベツレヘムの町の人に限らず、自分たちのことに忙しく、いじわるでも何でもなく、この出産に関心も示さず、自分のことでいっぱいいっぱいだったのです。その姿は、キリスト降誕の出来事を聞いて、牧歌的な光景を思い浮かべたり、暖かい部屋に馬小屋の人形を置いてメルヘンのようにお話として聞いている人間の姿と変わらないものです。

人々は現実の政治の中で、一喜一憂していたけれど、キリストが生まれるということに耳を澄ませるものなどいなかったのです。

ルカはこの降誕の出来事の中にもキリストの生涯を貫くものを見ていました。キリストの誕生の出来事は偶然と偶然の重なりでこうなったというのではなく、ここにも神の意志と決意が表れている、ということをこそ語りたかったのです。  キリストは自分のことでいっぱいで自分のこと以外には関心を持てない人間の世界にやってこられたのです。

神の御心に聞くことよりも、自分の思いに聞くことが自分たちの生活の中心にある人間の許にやってきたのです。だから神の御心を語り続けたキリストは人々によってはじき出されていく生涯にならざるを得なかったのです。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」「旅籠の中には、彼らのための居場所がなかった。」「客間には彼らのいる余地がなかった。」キリストの居場所がなく、キリストのいる余地がなかった。人間は自分たちの思いに聞くことで忙しく、神の御心を本当に自分の中心で受けとめていく余地がなかったのです。

人間の傲慢は神を追い出し、神を宿屋の外へ放り出してきたのです。世界は今やアウグストゥスが統治しているのであって、神が統治しているのではないかのように、神を外に放り出したのです。人間は神を放り出し続けてきたのです。 しかし神の子キリストは神の意志においてこの世に降誕されたのです。どんなに人間にはじき出されても、この人間と共にあり続けることを神は意志し続けられ、キリストを世に与えられたのです。

人間は自分の思いと自分の考えている何かにしがみついて自分にとってもっとも大事なものがなんなのか、わからなくなってしまっていくのです。自分の傲慢の虜になっていくのです。傲慢というのは、神とちゃんと向き合わないということですから、キリストと向き合わず、キリストの居場所を造ろうとしないということです。自分の中にキリストのいる余地を作らないのです。 しかしキリストはそのような人間の許に来られたのです。はじき出され、放り出され、無視され、あしらわれる、それを承知で来られたのです。宿屋に泊まる場所がないことを覚悟の上で、キリストは来られたのです。自分をはじき出し、放り出し、無視し、殺そうとする者たちと共にあり続け、共に生きるために、キリストはベツレヘムでお生まれになったのです。そして捕らえられ、裁きを受け、命を取られて尚、人間を背負い、負い続けていかれる。それはアウグストゥスの全く知らない生と死なのです。いや人間が知らなかった生と死といっても言いものです。

ルカはルカらしい形で「二人の王」を描いています。わたしたちはアウグストゥスに支配されている自分を感じています。確かにアウグストゥスという名の王はもはやこの世界に君臨してはいませんが、この世の富や、力に翻弄されてい自分を知っていますし、現実の前で右往左往している自分をよく知っています。そのような力の中で現実の中で、わたしたちを真に支え、導き、わたしを生かす方がおられるということ、その方はあなたがはじき出そうと、放り出そうと、無視しようとしても尚、あなたの傍らに立ち続け、あなたと共に歩んでくださるのだ、ということ、その方は、インマヌエルであることを一瞬も止めない方であるということ、それがクリスマスの出来事なのです。

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