話題になった映画からピックアップ!『レ・ミゼラブル』

『レ・ミゼラブル』から

ヴィクトル・ユゴーの小説を原作として1980年代にロンドンで上演され、以後、ブロードウェイを含む世界各地でロングランされていた同名のミュージカルの映画化作品が教会でも話題になり、まだ見ていない方へ あらすじを含めての感想文のご紹介です!。是非ご覧ください。

映画『レ・ミゼラブル』を見て 坪井隆さんより

2013年2月9日「レ・ミゼラブル」を見た。原作はヴィクトル・ユゴーであるが、映画はミュージカルの「レ・ミゼラブル」を映画にしたものである。なんとこのミュージカルは1980年フランス初演で、その後イギリス、日本でも演じられているそうである。私はこのミュージカルについては全く知らなかった。新聞の「レ・ミゼラブル」の宣伝を見たのと何かの拍子にこの映画は号泣ものだ、という話が耳に入り、何か感動をもたらすような映画に違いないと思う嗅覚が働き、見たい気持ちになった。高校3年生の時、岩波文庫で読んだ。主人公ジャン・バルジャン、ジャヴェール警部、ファンテーヌ、コゼット、マリウスの名前はとても懐かしい。細かいことは忘れたが、貧しいジャン・バルジャンが、パン一つを盗んだだけで、話はとんでもなく繋がることは覚えており、これを読み、貧困と無知が犯罪を生む温床だとするユゴーの考え方は、忘れることなく、私の心に根付いた。そしてもう一つ忘れることのなかったのは、ジャン・バルジャンとミリエル司教との出会いである。

雨の降り頻るなか、巨大な帆船が姿を現す場面がスクリーンに映し出され、映画は始まった。一体何が始まるのか、胸の内が沸き返る思いがした。帆船の難破、いやそうではない。大勢の男たちが、その巨大な帆船を引っ張っているのだ。ドッグに引っ張っているのがわかる。圧倒的な迫力で映画は迫ってくる。男たちは鎖で繋がれているので囚人であることがわかる。囚人監視人ジャヴェールと囚人バルジャンが交互に歌い、暗い、復讐心に満ちた囚人たちが、「下を向くんだ、下を向くんだ お前は何時までも奴隷のまま」と歌う。

船がドックに入れられた後、囚人たちは仕事を終えて、歩き出す。その時、ジャヴェールはバルジャンに折れたマストに縛られている旗を取ってくるよう命令する。バルジャンは巨大な力を発揮し、マストごとジャヴェールの前に運んだ。ジャヴェールはバルジャンの動作を目を凝らして見ている。そして、バルジャンに仮出獄となることを告げる。

 

バルジャンはある町に行こうとして、山間を歩いた。石切り場を通った時、そこで働かせてくれと親方に頼んだが、彼の身分証明書が黄色(流刑人を意味する)であると知ると、けんもほろろに断られた。町に着いたので、宿をとろうとするが、やはり断られる。追い出される場面が映し出される。バルジャンは、しかたなく野宿をしていると、とある老人が家の中に案内してくれた。野宿していた場所は、教会の前であった。したがって彼は教会の中に案内されたわけである。柔和なやさしい老人がどういう訳か、彼を歓待してくれた。食事の他ベットも用意してくれた。その老人がミリエル司教であった。人々に拒否され続けたバルジャンには信じがたいことであったが、ひたすら食べ漁った。画面は食事の後、銀の食器が仕舞われる場面を写す。猟師が獲物を見つけたような撮り方である。皆眠った後、場面が変わる。憲兵が夜中にバルジャンを連れて、ミリエル司教のところにやって来た。バルジャンの荷物の中から銀の食器が出てくる。ミリエル司教は、憲兵に言葉を発する間を与えず、2本の銀の燭台をバルジャンに向け、これもあなたにあげたのにどうして持って行かなかったのか、と言う。憲兵は、それでは閣下、こいつの言うことは本当なのですか、という。ミリエル司教はやさしくうなずく。知っている話だが胸にじーんとくる。

ミリエル司教は歌う。

正しい人間になるために、この貴重な銀の燭台を使いなさい。

殉教者たちの証人の名の下  体に流れる血と情熱の下

神様は貴方を暗闇から引き出して下さったのです。

私は神様の為に貴方の魂を救ったのです!

場面は変わる。祈祷室で一人考えるバルジャンが映し出される。

なぜミリエル司教は許してくれたのか。司教と言う立場からすれば、説教、訓戒をするのが当たり前だが、ただ正しい人になってください、と言うだけであった。そして、番号24601ではなく、人間として俺を扱ってくれた。何故なんだ。彼は悩み、もがく。19年間得体のしれないもの、(社会)に対する復讐心だけで生きてきた。それを今更どう生きよというのか。彼は必死に考えた。しかし、わからない。ミリエル司教の善意そして言葉がバルジャンの魂に刺さったのは間違いない。

歌う。

彼は(ミリエル司教)は私には魂があると言ってくれた

どうして彼には分るのだろうか   

どのようの不思議な力が私の人生を突き動かすためにやってきたのであろうか  

 

他の進む道はあるのだろうか

そして天からの啓示がバルジャンのところに降りる。悔い改めの心が彼の中で芽生える。彼の人格の奥深い所から言葉が出てくる。彼は180度生き方を変えることを決心する。黄色の仮出獄許可証を破り捨て、歌う。

ジャン・バルジャンの世界から逃れよう

ジャン・バルジャンはもう何人でもない

新たな物語が始まるべきなのだ!

 

ミリエル司教との出会いは、イエス・キリストとの出会いでもあった。彼は自分の殻を脱ぎ捨て、信仰によって生れ変わることを決心する(神が彼の中に入ってくださった)。神は遍在するが、気が付かない人もいる。ミリエル司教に聖霊が降り、それがジャン・バルジャンに降り注いだのであろう。私にもそういう機会があることを祈ります。

画面は女工さんたちが歌いながら仕事をしている場面に変わる。あることから二人が喧嘩となる。それに出会った工場主マドレーヌ氏は、仲裁に入ろうとした時、ジャヴェールが工場に近づいているのを見つける。マドレーヌ氏は工場長に二人の仲裁を任せ、ジャヴェールに会った。彼は警察官となり、この町に赴任し、マドレーヌ氏は市長も兼ねていたので、挨拶に来たところであった。その間、工場長は喧嘩の一人、ファンテーヌを首にしてしまった。外で大声がして、マドレーヌ氏は表通りに出る。一人の男が倒れた馬車の下敷きになり、苦しんでいた。マドレーヌ氏は、怪力を発揮して、馬車を持ち上げ、男を助けた。それをジャヴェール警部は見ていた。

首になったファンテーヌには子ども、コゼットがいたが、働くため、他人に養育を頼んでいた。その養育者テナルディが、コゼットが病気だから金を送れと手紙をよこした。ファンテーヌは髪の毛を売り、歯を売ったが、それでもお金が足りない。とうとう娼婦になり、お金をつくる。

ファンテーヌはお客とのトラブルに出くわす。そこへジャヴェール警部が来て、ファンテーヌを拘束しようとするが、マドレーヌ氏がそれを止める。ファンテーヌは、助けてくれたのがマドレーヌ氏だとわかると、あなたのせいで工場を首になり、こうした身になり果てたのだ、と言う。マドレーヌ氏は、あの時の女だとわかる。ファンテーヌは病気になる。マドレーヌ氏は懸命に介抱するが、治らない。ファンテーヌは「夢やぶれて」と言う歌を歌う。何故か、この歌は知っていた。イギリスのスーザン・ボイルが歌ってたのを思い出した。ファンテーヌは娘コゼットのことをマドレーヌ氏に話す。マドレーヌ氏はコゼットを連れ戻す決心をする。ファンテーヌはコゼットが戻って会えることを夢見ながら、死んでしまう。

マドレーヌ氏はジャン・バルジャンが裁判にかけられ、本人が自分がジャン・バルジャンであると認めていることを聞かされる(ジャン・バルジャンは仮出獄中に逃走しているので、犯罪は成立している)。マドレーヌ氏は自分こそがまぎれもないジャン・バルジャンであるので、裁判にかけられている男は別人であることを容易に悟った。彼は思い悩む。自分がジャン・バルジャンであると名乗り出るか、もしそれをしたら工場はつぶれ、多くの人が路頭に放り出される。しかし、無実の人を有罪にすることはできない。ミリエル司教の言った正しい人とは、神に向かって、嘘をつかない人である。彼は裁判所に出掛け、自分がジャン・バルジャンであることを告白する。ジャヴェール警部は意を得たとばかり、彼を逮捕しようとする。ジャン・バルジャンは、コゼットを連れ戻すまで、猶予をくれと言い、姿を隠す。

バルジャンは旅籠を営むテナルディ夫婦の家の近くの森を通った時、一人の少女が森の井戸で水汲みをしているのに出会う。その少女がコゼットであった。バルジャンは少女と言葉を交わし、水の入った樽を持って、テナルディ夫婦の家まで戻った。家の近くで、コゼットが樽を自分で持つと言う。誰かに手伝ってもらっているところをテナルディ夫婦に見つかると、怒られるからだ、と言う。バルジャンは、その言動、夜中に暗い森の中に水汲みに行かせる養親の態度から、コゼットは小間使いをさせられていることを理解する。バルジャンはテナルディ夫婦に会う。夫婦は、互いに狡猾そのもの、しかも互いに上値を付けに行く小悪人である(似た者夫婦とはよく言ったものである)。結局、かなりの高額を払い、バルジャンは、コゼットを取り返した。

しかし、またしてもジャヴェール警部が追い駆けて来た。逃げる馬車の中でバルジャンは、コゼットに父親になると宣言する。薄幸なファンテーヌの死に些かの責任があるので、その罪拭いをする、と言うのとは、少し違う。ミリエル司教の言う正しい人とは、キリスト教の中核を生きる人となることをも意味する。すなわち、神があなたを愛するように、あなたも自分自身を愛するごとく、隣人を愛しなさい、という教えを生き抜くことが、バルジャンの意思である。ルカによる福音書第10章25節に善いサマリア人の譬えが記されている。それによれば隣人とは、弱い人、困っている人のことを指す。その意味でコゼットは孤児で、育つためには親が必要で、バルジャンは、コゼットの親となり彼女を育てることが、召命と自覚したわけである。

二人は必死に逃げ、運よくパリまでやってきた。夜中とある女子修道院に隠れようとした時、ある男に出くわした。その男とは、倒れた馬車の下敷きになり、マドレーヌ氏に助けられたフォーシュルバンであった。彼は、快く、二人を匿った(小説では、足が悪くて、普通に働けないフォーシュルバンに女子修道院の働き口を見つけたのは、マドレーヌ氏であった。二人とフォーシュルバンが偶然出会ったのは、小説、映画も同じであるが、二人が修道院に落ち着けた訳は面白いので少し、書いておきます。修道院の院長は、先輩の聖女が亡くなった時、亡骸を修道院の下に埋葬するようフォーシュルバンに頼んだ(ウエストミンスター教会に行ったとき、イギリスの著名人のほとんどが、ウエストミンスター教会の下で眠っていることを知った)。しかし、その当時のパリでは法律の改正で、聖女と言えども、墓地に埋葬しなければならなくなっていた。フォーシュルバンはそのことを院長に言った。しかし、院長は言うことを聞かない。そこで、フォーシュルバンは弟とその娘(コゼット)を修道院においてくれと頼んだ。弟は庭師をし、コゼットは将来の修道女になるからと口説いた。結局聖女の修道院埋葬と二人の修道院生活がバーターになった訳である。)

それから、9年の年月が経った。1832年のパリが画面に映し出される。歴史的には1789年のフランス革命が終わり、ナポレオンの登場、上昇、1815年のワーテルローでの敗退。1830年7月王政等、フランスは共和制と王政を繰り返す、不安定な時代であった。教科書によるとフランスに普通選挙(男子のみ、どこの国でも女子の選挙権は男子より遅れて認められた)が施行されたのは1948年だそうである。政治体制は不安定だが、この時代産業革命が進行し、多くの人がパリに集まった。映画はそうした群集の集まるパリの騒々しさを捉える。フランス革命によって掲げられた自由、平等、博愛そして人権宣言も一気に政治体制に根付いたわけではない。1948年が普通選挙の始まりということは、選挙における平等は1830年代には享受されていなかった。

学生たちの中でさらなる政治体制の改革を求める集団があり、映画では「ABCの友」と言う名の集団が出てくる。アンジュラス、マリウス等が革命の熱い情熱を語り合う。

ある日町を歩いている時、マリウスは、美しい女性に一目ぼれをする。その女性こそ17歳になったコゼットであった。父バルジャンと散歩していた時の出来事であった。マリウスは、コゼットのことが、脳裏から離れなくなる。彼は、近所に住むエポニーヌと言う名の娘(テナルディの娘)にコゼットの住むところを探して欲しいと頼む。エポニーヌは見つけ出し、マリウスに伝える。彼は即座にその場所に行く。偶然コゼットも庭に出たところで、二人は塀越しであるが、見詰め合う。二人の気持ちは通じ合ったようである。

マリウスが帰った後、テナルディ一味がバルジャンから金を巻き上げる目的で、バルジャンたちの住む屋敷に来る。鉢合わせしたエポニーヌはそれを阻止するため大声を挙げる。バルジャンはジャヴェール警部に隠れ家が見つかったと勘違いし、コゼットにイギリスに行く準備をしなさいという。バルジャンの荷造りの場面で2本の銀の燭台が映し出される。ミリエル司教との約束を守り、正しい人になる証として、肌身離さず持っているのであろう。コゼットはマリウスとの気持ちが通じ合った後だけに混乱する。

次の日、革命を呼びかける学生の声が街角を通り抜ける。政府軍のパレードの最中に武装蜂起が開始される。バリケードが築かれ、相互に激しく撃ち合う。小休止の時、ジャヴェール警部が労働者を装い、スパイとして、集団に入ってくる。ジャヴェール警部は嘘の情報を提供するが、その時浮浪孤児のガヴローシュに正体を見破られてしまう。彼は捕らえられ、部屋に繋がれる。再度銃弾が激しくなった時、エポニーヌは弾に当たり、マリウスに抱かれ死ぬ。その時、彼女が持っていたコゼットの手紙を渡す。マリウスはガヴローシュにコゼットの居る場所に手紙を届けさせる。それをバルジャンが読む。バルジャンは、手紙の内容が、マリウスが自分の死を予告するものでもあったので、コゼットのためにマリウスを奪回すべく出かける。バルジャンは、政府軍の奇襲を阻止し、革命集団の信頼を得る。ジャヴェール警部が繋がれているのを知ると、彼の処置の一任をとりつける。バルジャンは、彼を逃がす。ジャヴェール警部は聞く。「憎い俺をどうして逃がすのか」バルジャンは答える。「君は君の任務を果たしただけだ」ここでもバルジャンが正しい人になっていることを指し示す。人を憎まず、許すことはキリスト教の基本の教えであるからだ。

その後銃撃戦はさらに激しくなり、浮浪孤児のガヴローシュ、リーダーのアンジュラス、その他多くの仲間が死んでいった。マリウスも銃弾に倒れる。バルジャンは、彼を背負い、地下下水道を通り、逃げる。やっとの思いで地上に出た時、そこに待ち構えていたのは、ジャヴェール警部であった。「ジャン・バルジャン、お前を逮捕する」と言い、拳銃を向ける。バルジャンは「1時間だけ待ってくれ」と言い、ジャヴェール警部を振り切り、マリウスを祖父の家に連れて行く。

ジャヴェール警部は自殺してしまう。彼の仕事は、犯罪者を逮捕すること、すなわち法の執行である。職務の遂行が直ちに正義とは思えない。ジャヴェール警部は、あまりにも崇高なバルジャンの行為に、自分がわからなくなったのであろう。

コゼットの必死の介抱で、マリウスは一命を取り留め、回復した。マリウスとコゼットは結婚することになった。バルジャンはマリウスに自分の過去のことを話し、これから旅に出る、と言う。二人の結婚式には出ない。一人になると急に疲れが出てきた。死が到来したように感じる。何も怖くない。やるべきとはすべてやった。

二人の結婚式にテナルディ一夫婦がやってきて、バルジャンの秘密を話すから、金をよこせと言ってきた。テナルディ一は革命の日、バルジャンは地下下水道で死体を運んでいた。彼は殺人者である、と言う。その証拠のこの指環は死体から抜き取ったものだ、と言い、それを見せた。マリウスは驚いた。それは自分のものだったからである。そこで初めて、自分を助けてくれた人はジャン・バルジャンであったことを知った。マリウスとコゼットはバルジャンの所に行った。彼は、ファンテーヌ、ミリエル司教と夢の中で会っていた。二人は、神との出会いを教えてくれた人である。愛すること、信じることを教えてくれた人たちだ。そして、コゼット、マリウスを見て、幸せを感じた。

神様に感謝し、必死に祈れば、きっと、社会の中で生きる空間は、神様が授けてくれる。そして死は怖くない。映画「レ・ミゼラブル」は見て、熱い感動と共に、そんな思いがした。