伝道講演会に参加して(S・Kさんより)

2013年3月10日礼拝後の午後のひと時、フェリス女学院の学院長であり、哲学者の岡野 昌雄先生をお迎えし、「生きる事と考える事」と題した伝道講演会の機会を持つ事が出来ました。今回岡野先生をお招きするにあたり、事前に教会では会員に向け先生がご執筆された「イエスはなぜわがままなのか」と言うタイトルの書籍が紹介されました。

大変ユニークな著作名でありましたので、当日はいったいどんなご講演をいただけるのかと非常に楽しみにしておりました。ご講演の冒頭、ご自身は牧師でも聖書学者でもないので、信仰の経験に基づいた話しをするしかありませんと前置きをされましたが、60年に渡る先生の一本筋が通った信仰の姿勢、信仰理解の中から大変重要な多くのメッセージをいただきました。以下、講演要旨を記させていただきます。

岡野先生はノンクリスチャンの家庭で育ち、高校2年の時に教会と聖書に出会う。

聖書を読めば読むほどイエスの教えは実際の社会の営みと照らし合わせると難しい事ばかりが書かれており、理想と現実のギャップを感じ、どの様な姿勢で聖書と向き合えば良いのか悩み、当時通っていた教会の牧師に相談したところ、洗礼を受けてはどうかと勧められ、素直に受け入れ入信した。

信仰の道に入る事が人生の最終目標なのではなく、入信した事が新たな人生の出発点になった。

自分の主体的な価値観に信仰を置くのは危険な事であり、聖書をしっかり読みながら社会の色々な問題と真正面から向き合う事を目指し、そして自分で決めた道を貫くために哲学専攻を志し、国際基督教大学に進学した。

無教会主義の教えにも触れる機会はあったが、キリスト教会の信仰とは聖書の教えそのものであり、教会における交わり、信仰共同体の交わりの中で聖書を読む事が大切であり、加えて説教を通して聖書に聞く事が重要、従って自分はこれまで一度も教会を離れず今日に至っている。ただ一人で聖書だけを読んでいれば良いのではなく、教会と言う交わりの中で信仰が育てられ、伝道の第一線で信仰の戦いを続けている会員同士がお互い祈りあう所に教会の良さがあり、教会を離れる事は信仰が崩れる事につながる。

また、信仰とは私たちへの問いかけでもあり、時としてトラブルや衝突に遭遇する事もあるが、そこから目をそらしたり逃げたりせず、誠実に人間として生きる事を求め続ける事が大切である。

私たちの信仰は、神様が与えて下さったものであり、自己の主観的な理解に基づく信仰は危険につながる、神様は絶対的なものであるが、我々の信仰とは相対的なものであり、時として間違いも伴うが、それを直してくれるのが教会である。

奥様を9年前にご病気で突然天に送られた時、喪失感や埋められない気持ちであったが、それを耐え抜き、風化して気持ちが和らぐのを待ちつつ、神様から与えられた人生を最後まで生き抜くしかないと思った。

社会には、もっとショッキングな状況下にある方がたくさんおられ、そしてどんなに納得できない事や愚痴を言いたくなる事が起きても、しかしそれらは神様の支配下の出来事であり、そして神様は最善の道を備えて下さっているのだと言う事を信じていかなければならない。

神様から目を背けると人生や社会(あの震災や、今も戦禍の中にいる子供たちの事なども)が解らなくなってしまう。だから最後まで神様に向き合いながら生きて行きたい。

ご講演に際し、先生がご準備された聖書箇所 詩編37:23〜24『主は人の一歩一歩を定め御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。』

私たちが神様との関係をどう捉え、どの様な信仰の歩みをすすめて行くべきかについて、改めて問い直すための重要で多くの示唆を与えられた恵み豊かなひと時でした。