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聖書と教会[ クリスチャンの声より ]

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みなさんは、情報のあふれるこの時代のなか、何が本当のことなのかどう判断されているのでしょうか?
どれが正しくて、何が良いのか判断するにはどうしたらよいでしょうか?

聖書はたくさんの事実から正しい真実を知るための物指しのようなものだと思います。

命を定義する事は

命を定義する事は人間にはできません。私達人間が命を作り出すことはできません。卵子と精子を試験管の中に入れて受精卵を作ったとしてもそれは、 卵子や精子に元々備わっている力を利用しているに過ぎません。

今、私の心臓や肝臓、腎臓などの、あらゆる臓器の働きが起こっている。
いろいろな回路が回り、エネルギーを作り出している。
その、ひとつでも、私は自分で止めることも、始める事もできない。

細胞の一つ一つに備わった、生命を維持しようとする力・・・
私達はその細胞の塊です。
細胞に備わったその力を、人間が作り出せるでしょうか?
私達には作れない。

人間は命の完全な仕組みを知らない、だから命を定義する事が、人間にはできない。
命が何であるのか、知ろうとしたらそれを創ったものに聞くしかないのでしょう。

20年間も教会を離れていましたが、結婚、子育てを経験し、
命の大切さや、この世の真実について考えるようになりました。

ある時、遠藤周作氏の言葉を思い出しました。
「最も惨めな人にお前の苦しみは分かる、と言うために彼は最も低き人として生れなければならなかった。」 この言葉が、思い返せば主イエスとの最初の出会いでした。
全ての命の最も下に彼は位置している。
言い換えれば、全ての命を彼は知っている。
彼は一つ一つの命に向き合うことが100%出来る人なのです。

命を知るために、私は彼を追ってみようと思いました。
彼の中に、全ての命の答が隠されているのだと直感し、 後に知る聖書の言葉は、その事を証明してくれました。

コロサイ人への手紙 1章17節

彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。

この言葉が、心に響いた時、
教会に行く事を家族から反対されても、私はこれでいい。
間違っていないと確信しました。

命は、自力で理解できるものではありません。
親しい人の死によって、命を考えるようになることがありますが
死とは、人間にとってどうにもならないもの、自力では解決できないもの
だからこそ、それをきっかけに命って何なのかと言うことに、ぶち当たるのではないでしょうか?

多分・・・私達が生きている間では、その答えは出ないでしょう。
だからこそ、終わることなく求め続けていけるのでしょう。
生きるとは、命って何?と問い続ける事なのかもしれません。

聖書はいろいろな角度から命の大切さ、素晴らしさを教えてくれます。
聖書から浮かび上がってくる真実こそが命を語っているのだと思います。
聖書に触れることにより人はその求めに応じて真実を少しずつ、少しずつ知らされていきます。
それには多少時間がかかります。時間がかかったとしても、私は本当の事が知りたいと思いました。

主イエス・キリストに出会うことが最も近い道のように思われましたので、教会へ戻る決心をしました。
20年もほったらかしにしていたイエスさまですが、大変温かく迎い入れて下さいました。

本当に、教会へ戻って良かった!と思う毎日です。
命について真剣に考えたい方は、聖書を読んでみてください。
多分、一回読んでも分かりません。何度も何度も、読んでみてください。
必ず、浮かび上がってくる真実に気付く事でしょう。

私達の教会の礼拝へ来てみませんか?牧師の説教を聞いたら、とてつもない世界へと招き入れられている事は、すぐに感じることが出来ると思います。 私達と一緒にイエスさまの真実を受け取りませんか?

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