宗教は人間にとって必要なものなのですか?
宗教とは何か、という定義はむずかしいのですが、今キリスト教という宗教から考えてみると、宗教は必要なものです。 人間は神という絶対者の前に立つ時にはじめて人間になっていくものなのです。神の前に立つことを忘れた人間は、自分自身が神になっていくのです。 宗教は人間が真に人間として生きるためにどうしても必要なものです。
毎週日曜日礼拝に行くのは、自分の時間がもったいない気がするのですが、教会はどうして毎週日曜日礼拝を行っているのですか?
礼拝は神とわたしたちが出会う場です。神がわたしたちを招き、愛と恵みの中でいのちの言葉をわたしたちに語りかけ、わたしたちがそれによって新しく歩み出していく、出会いと交わりの場です。週の初めの日(日曜日)わたしたちはまず神と新たに出会い交わって、生きる元気と勇気と力を受けて歩んでいくのです。
礼拝に是非お越しください。いつからでも、どなたでも大歓迎です。
礼拝はわたしたちの生活の中でどういう意味があるのですか。礼拝に行くと何か良いことがあるのですか?
神の言葉(聖書の語りかけ)はただ単に「立派な言葉」というのではありません。聞いた者の中でいのちの息吹を生み出し、新しく生きる力を創造していく、生きて働く言葉なのです。その言葉と出会うのが礼拝であり、神の真実に出会うのが礼拝です。神がわたしたちを全力で愛してくださっていることに出会い、その神の愛に感謝し、神をほめたたえること、それが礼拝です。
弓町本郷教会では、日曜日に主日礼拝・夕礼拝があります。どなたでも出席できますので、是非一度いらしてください。
なぜ神の独り子イエスさまが人間になられたのですか?
人間の苦しみ、人間の愚かさ、人間の罪を一人の人間となって背負い、共に歩むために神がひとり子をこの世に人間として遣わされたのです。どこまでも人間と共にあって、人間の生と死を負い、人間の罪を十字架によって担い、その罪の罰を人間に変わって受け、人間に新しいいのちを与えるためです。神の愛故の決断です。
一度 死なれたイエスさまが甦られたって本当ですか? それを信じることにどんな意味があるのですか?
十字架にかかって死んだイエス・キリストが三日後に甦ったということは聖書がもっとも大事なこととして証言しているものです。それは人間の理性では受け入れがたいことではあります。しかし神はイエス・キリストにおいて働き、イエスを甦らせ、新しいいのちをお与えになられた。このことをただ信仰において受け取るべき事柄として示されたのです。復活を信じることは、自分自身もこの神の働きの中にあることを信じていくことにつながっていきます。つまり復活を信じることは、単に復活というものがあることを信じるというのではなく、復活した主イエスが今わたしの内で生きて働き、わたしと共に歩んでくださるということを信じていくことなのです。
信仰することは、洗脳される事とどう違うのですか?
洗脳というのは、情報を遮断されたところで、一方的にある考えを刷り込まれていくことです。 キリスト教信仰は、今のあなたが、その五感もフルに用いながら、自分の考えや思いをぶつけながら聖書の言葉と対話していく中で生まれていくものです。 それは根本的に、神とわたしの人格的な関係の中で生まれていくものです。
難しい話になってきたように思いますが、キリスト教の福音というものに一度触れてみたいと思うのですが、どうしたらいいでしょうか?
教会の礼拝に是非お越しください。わからないこと、違和感を覚えることもあると思いますが、礼拝では福音の命が語られています。是非、礼拝に来てみて下さい。礼拝はいつでも、どなたでも出席できますので、突然行ってもいいかなど、迷っている方も是非一度来てみてください。