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クリスチャンの声 K.M さんより 『私の帰るところ』

私の家はクリスチャンホームではありませんが、母親がクリスチャンで、父親もキリスト教に理解があるという家庭で育ちました。私は母に連れられて幼い頃から教会学校に通い、高校一年生の時に受洗しました。また、ずっと教会に通っていたと言うこともあり、高校はミッションスクールで学びました。

現在受洗してから8年が経ちましたが、上京して幼い頃から育ってきた地や、育ってきた教会から離れたことで、東京では毎週続けて教会へ行くことが少なくなってきてしまいました。

大学時代

大学時代は寮生活をしていて、上京する際に教会を紹介して頂いて、何度か行ってみました。他にも、いろんな教会を見てみるチャンスだと思い、いくつか教会に行ってみたりしました。どこもとてもいい教会だったのですが、初めての寮生活でいつも友人達と一緒に過ごしていた私にとって、学校や寮で友人とおしゃべりしたり、外出したり、学生生活を楽しむことばかりに頭がいっぱいで、日曜日に朝から礼拝に行くことがだんだんと面倒に感じ、教会生活からは離れてしまいました。教会は長期休みなどで地元に帰ったときに行けばいいやと思ったりもしていました。

そして、長期休暇で実家に帰省していた際に母親と話しているとき、「むこうでも毎週通える教会があればねえ」と母が言いました。

日曜日

しかし、私は、「日曜日に、寮では他の友人達は昼近くまで寝ていたり、休みだから遊びに出かけているのにどうして私だけ教会に行かなきゃいけないの」と言いました。

「教会に行けばキリストを信じている人がたくさんいるけれど、ふつうの一般社会に戻ったら、クリスチャンは本当に少ないし、宗教を持つことがおかしいように思われている日本では逆に馬鹿にされたり、変な人だと思われる!教会に行く意味なんてあるの。だけれども、私は小さい頃から教会へ行っているから、今さら神さまのことを知らないなんて言えない。わたしはどうすればいいんだ。」と、涙を流しながら、どこに向ければいいかわからない思いを母親にぶつけていました。

母親は「大丈夫、神様は全部知って理解されているから。」と言ってくれていました。数時間が経つと、母のおかげもあり、だんだんと気持ちがおさまってきて、次の日はしぶしぶと、それでも教会へ行きました。

礼拝に出席

そして礼拝に出席しているとき、自分の本当の気持ちに帰ってきたという思いになって、こんな私でも神様はいつも見守っていてくれていて、赦してくれていて、そして私は多くの人に覚えられていて、やっぱりキリスト教が自分の基盤になっているんだなと思いました。

今思えば、本当に浅はかだったなあと思いますが、それまで順調に教会生活を送ってきて私にとって、混乱の時だったのでしょう。

地元の教会の牧師先生から

それからは、進級と同時に都内のキャンパスに移り、近くに住んでいた姉が行っていた教会に時々行ったりしていました。

ある日、地元の教会の牧師先生から、特別伝道礼拝で今度東京の教会で話をするから、東京にいるなら来てみたらとお話がありました。

そこには私が勉強しているパイプオルガンのある教会だということでした。

弓町本郷教会

弓町本郷教会は、牧師先生はじめ会員のみなさんが明るく生き生きとしていて、暖かく迎えて下さり、雰囲気が私のいた教会と似ていることもあり、初めて訪れたとき、なぜか教会が「おかえり」と言ってくれているようでした。

始めは転入会するということはあまり考えていなかったのですが、毎週礼拝に出席し、みことばを聞き、賛美するということが、いかに大事であるか気づかされ、現在の東京での学生生活の中でも教会生活をしっかり見直さなくてはと感じ、不思議と弓町本郷教会に導かれ、転入会することができました。

幼い頃から通っていた教会の牧師先生や、そして母親が、それまでずっと私の東京での教会生活を心配していたということを聞いてびっくりしました。

毎週教会に行くたび

そして、自分の気づかないところで多くの人が祈っていてくれたということと、神様がこうして導いて下さったことに本当に感謝でした。

そして、今、日々の生活の中で何よりも祈ることが習慣になっています。

今も毎週教会に行くたび、「おかえり」と言われているようで、家に帰ってきたような、ホッとした気持ちになります。また、礼拝が終わり、教会を出るときは「じゃあ行ってらっしゃい」と言われている気持ちになります。

日曜日は礼拝に

学生である今、やはり将来のことについて考えたり、悩みや不安がある時もありますが、幼い頃からの習慣であった、日曜日に礼拝に出席し、日々祈ることを思い出したことで、私の人生で何が大事であるか、何が基盤となっているのかを思い返すことが出来ました。すると悩みや不安もほんの小さいことに感じます。「イエス様がいつも見守っていて下さるから大丈夫、今は目の前にあることを一生懸命1つずつやっていこう」と思いながら、毎日の学生生活を送っています。

教会にいらしたことのない方へ

教会に行ったことのない方は礼拝ってなんだろう?なんで教会に行くんだろう?と思われるかと思います。教会では賛美歌を歌い神様の賛美をし、聖書のみことばを聞き、牧師先生から語られるメッセージを聞きます。

わたしは日々の生活の中で、人に対して嫉妬したり、自分の価値観を相手に押しつけたり、自分の思い通りにならないと嫌だという自己中心的な気持ちを持ったり、相手を許す気持ちをなかなか持てなかったりと、本当に人間的な嫌なものにとらわれてしまうときがあります。それも、そういった時には心の中は自分の感情だけでいっぱいになっていて、「あ!今、わたしひどいこと言ってる!」と気づく余裕もありません。「ああ、ひどいことを言ってしまったな」などと思うのは後からです。それなのに、なかなかすぐに心から謝ることができなかったりします。

こういった自分のことだけを考えてしまうような狭い考えから、人は人間関係がうまくいかなくなったり、考え方が偏ってしまったり、行き詰まってしまうことが多いのではないかと思います。

聖書には

でも、イエス・キリストは罪人のわたしたちのために死んで下さいました。聖書には、イエス様の弟子達が口では「裏切りません」と言ったのに、イエス様のことを「わたしはあの人を知らない」と言ったり、十字架につけられる前にイエス様を売り渡したりと、裏切ってしまう場面がいくつも書かれています。それでも、イエス様は弟子たちを恨んだり、ののしったりすることはありませんでした。そして、イエス様が復活され、天にのぼられるとき、「わたしはあなたがたといつまでも共にいる」といってくださいました。こうやって私たちを無償の愛で、愛して下さっています。神様の愛を知って、本当に他人を思いやること、神様がわたしたちを愛して下さっているように、隣人を愛することを知ることが出来ます。

礼拝に出ると

礼拝に出ると、わたしたちの日頃の人間的なしがらみから抜け出し、賛美は喜びに溢れて、祈りの時は落ち着いた心で、聖書のみことば、牧師先生からのメッセージでイエス様の私たちへの愛に立ち返ることが出来ます。

教会に行ってみることは勇気のいることかもしれませんが、弓町本郷教会は、本当に教会のみなさんが暖かく迎え入れて下さるところです。何もわからなくても大丈夫です。幼い頃から教会に通っていて、受洗から8年の私も、まだまだ未熟者で、実は聖書でわからないことが多いです。しかしその分、多くのものを吸収できると思っています。それに、イエス様を信じたら、一生、そしてこの世での命がなくなってからも、永遠に神様に守られ、神様のことをずっと知ることができます!

特に、若い方が来て下さるととっても大事にしてくださいます!ぜひいらしてください。

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