「意志も努力もききめなし −『スヌーピーたちの聖書のはなし』から」

笹井あかねさんより

クリスチャンではない友人から「読んでもわからなかったからどうぞ」と言われ、この本をもらった。作者は神学を学び、マンガを用いてスヌーピーの神学的意味を説いて講演をしているロバート・L・ショートさん。

スヌーピーの作者は、聖書に精通したチャールズM・シュルツさん。本の帯には全米で1000万部突破と書いてある。日本では現在では絶版になってしまったが、米国のアマゾンのサイトを見ると、原著は1967年出版の本であるにもかかわらず、今も普通に売られている。米国はスヌーピーが好きな人が多いのか、それとも聖書について詳しく知りたいと思っている人が多いのか・・・。

本の裏表紙には「現代版聖書入門」とあるが、聖書を読み始めて10年近くたった私でも、うなずきながら読んだ。というよりも、最近になってようやくわかり始めた異邦人伝道をしたパウロの書簡の引用箇所は、聖書を読み始めた当時では到底理解できなかっただろう。

聖書は飽くことがなく一生読み続け、神さまの声に聞き続けることができる書物であることを実感した。この本の横に聖書を置いて該当箇所を開き、聖書とスヌーピーのマンガを交互に読みながら神さまのみことばに触れ、楽しいひとときを過ごした。

「自分の能力を信じたり少しばかり努力しても自力で救いを見いだせないときは、友達の力を借りることができる」とある。しかしながら、問題の性質、人間関係により相談できないことも時にはあり、そうしたときにクリスチャンは神さまに祈り、困難の中にいるので祈ってほしいと友人に頼む。

さらにこの本によると、「君侯に頼るより、主に救いを求めたほうがいい(詩編118篇8-9)」。ベストはもちろん尽くすけれど、神さまにお任せする術をクリスチャンは知っている。

罪深く、腹黒い私。そんな自分が嫌になる。クリスチャンなのに・・・。意志が弱く、努力が足りないから?という問いに対し、この本は次の箇所を引用している。

「それは人間の意志や努力によるものではなく、ただ神の憐みによるのである(ローマの信徒への手紙9章15〜16節)」。また、「恵みによるのであって、行いによるのではない。そうでなければ、恵みはもはや恵みと言えなくなるからだ(同11章6節)」。

神さまは、こんなダメダメクリスチャンの私をまるごと受け入れてくださり、蛇口を全開にしたシャワーのような、さんさんと降り注ぐ夏の日差しのような豊かな愛を、地球上の皆に注いでくださるということなのだ。

本の中のマンガを一つ紹介。のどの渇いたスヌーピーが、自分の水飲みボウルをくわえて水道までやってくる。蛇口をひねることができないので、蛇口の前で呆然としているスヌーピー。すると雨が降り、水飲みボウルは雨でいっぱいになり、水を飲むことができたのだが、最後のコマに「このことは、しばらく考えてみなくちゃいけないな。」とつぶやくスヌーピーの姿がある。

横には「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、値なしに飲むがよい(ヨハネの黙示録22章17節)」が引用されていた。

自分の小屋の屋根の上で天を仰ぐスヌーピー。現代人は何でも科学の力で思い通りになると考え、それをかなえようとすることによって科学技術も進歩してきた。しかし地震、津波、台風など自然現象を目の前にするとそれらをコントロールすることはできない。人間の力の及ばないところでもがいてもどう仕様もできないことがある。

命を神さまから託された私たちがベストを尽くした後は、神さまにお任せするしかなく、私達人間を大切に思ってくださる神さまは救いの手を差し伸べてくださるのだと、スヌーピーを見ながら感じた。

一方で、実際に自然災害にあった多くの人たちのニュースを見聞きする度に、どうしてそんなことをなさるのですかと神さまに問いかける。災害が多い最近は特に。 とりあえず今日も一日、大好きな神さまが喜んでくださることが出来るといいな!と思った。

ロバート・L・ショート『新装版 スヌーピーたちの聖書のはなし』

2004年 講談社 

*絶版ですので図書館でお借りになるか、または古書をご購入ください。

アドベントを迎えて

イエスさまのお誕生日を1か月前から準備する期間、アドベント。

旧約聖書の時代に救い主を待ち望んでいた人々の気持ちは、こんなワクワクする気持ちだったのかなと想像します。お生まれにならなければ十字架にかかることもなかったのに、と思ったことがありました。

しかし、お生まれになったからこそ、私たちが希望を持って生きることができるんだ!と毎年この期間、私とイエスさまとの関係を考えます。

「そのままのあなたでいいんですよ」と私たちを受け入れてくださるイエスさまのお誕生をたくさんの人とお祝いしたいと思います。